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蹴鞠資料(沓掛家)

種別 :市指定 工芸品
指定日:昭和45・5・11
所在地:上田市立博物館

解説

江戸時代の後期に下塩尻村(現上田市)の沓掛権右衛門〔ごんうえもん〕という人物(1775年生れ、85歳で死去)が使用した蹴鞠の鞠〔まり〕・装束〔しょうぞく〕や免許状等です。


蹴鞠は「けまり」ともいい、原則は八人で鞠を一定の高さに蹴〔け〕り上げて、落とさずに正確な動作で蹴る回数の多いのを優秀とする競技です。もともとは貴族の遊びでしたが、江戸時代には地方の上層の農民や町人の間でも、盛んに行われるようになりました。


沓掛権右衛門は文化6年(1809)には、蹴鞠の師範〔しはん〕の家(家元〔いえもと〕)であった京都の公家飛鳥井 〔くげあすかい〕氏より、信濃の門人を監督する役目とみられる「目代取次〔もくだいとりつぎ〕役」に任命されています。権右衛門は文化12年には、江戸城 内で行われ、将軍も見物した蹴鞠会に十人の競技者の一人に選ばれて出場しています。たいへん優れた技術の持ち主であったのでしょう。


鹿の革〔かわ〕で作られた鞠五点や沓〔くつ〕・烏帽子〔えぼし〕等まで含む装束二一点が、ほとんどいたみもなくほぼ完全に伝えられています。また、飛鳥井 家から出された、段階ごとの装束着用についての免許状等、関係する古文書五三点も、いっしょに伝わっています。


明治になってからは、地方では全く廃〔すた〕れてしまった蹴鞠ですが、江戸時代には上田の町にもいくつかの鞠場〔まりば〕があり、藩主屋敷の庭で蹴鞠が行われた記録も残っています。


このような江戸時代の地方文化の意外な面を研究する上で、沓掛家の資料は、貴重なものと言えます。