江戸時代に作られた日本で一番古い天体望遠鏡です。国友藤兵衛〔くにともとうべえ〕という人が作ったものですが、藤兵衛はこれを使って、その当時としては世界的な業績とされる太陽黒点の連続観察を行っています。
国友藤兵衛〔くにともとうべえ〕(1778〜1840)は近江国〔おうみのくに〕国友村(滋賀県長浜市)の人で、江戸幕府お抱〔かか〕えの鉄砲鍛冶でしたが、発明家・科学者としても有名な人物です。彼は江戸で見たオランダ製の天体望遠鏡を手掛かりに研究を重ね、天保〔てんぽう〕5年(1834)にこれを作り上げました。
藤兵衛は同じような天体望遠鏡を四―六台製作したとされていますが、この資料は最初に完成した記念すべき製品で「天保五甲午歳初夏始而造之〔はじめてこれをつくる〕江州国友眠竜能当(花押)」という銘〔めい〕が刻まれています。
藤兵衛の望遠鏡は、幕府の「天文方〔てんもんかた〕」の役人からも、オランダ製のものより、はるかに大きく鮮明に見えると評価されています。
藤兵衛はその精度を確かめるためもあって、自作の望遠鏡で天体観測を行っており、月や土星・木星などのほか、天保6年(1835)から翌年にかけて計157日、延べ216回にもわたり太陽の黒点を連続して観察した記録を残しています。
材質は鏡筒〔きょうとう〕・接眼筒・架台ともに真鍮〔しんちゅう〕製で、木製の回転台および太陽観測用の「ゾンガラス(サングラス)」が付いています。構造はグレゴリー式の反射望遠鏡で、倍率は約70倍という優れたものです。
この望遠鏡の特に優秀な点としては、金属製(銅約63%、錫〔すず〕約37%)の反射鏡が、主鏡・副鏡ともに今でも曇らずに輝いていることが上げられます。最近の研究により、この反射鏡は金属がまじり合っただけのふつうの合金ではなく、銅原子と錫原子が結合して新しい物質となった「金属間化合物」である ことがわかりました。金属鏡のさびない理由は、これらの点にあるようです。この望遠鏡は今でも天体観測に使えるものです。意外に進んでいた江戸時代の日本の技術が、あらためて注目されているところです。
なお、この天体望遠鏡は諏訪藩主諏訪家に買い上げられたもので、漆塗りの箱には同家の家紋である「梶〔かじ〕の葉」が描かれています。明治維新後これを入手していた等々力氏から上田市に寄贈されました。