カテゴリ 閉じる

赤松小三郎佩刀(博物館)

種別 :市指定 工芸品
指定日:昭和58・4・8
所在地:上田市立博物館

解説

赤松小三郎は幕末期の上田藩士でしたが、洋式兵学者として、また議会政治の必要性を早くに説いた人物として知られています。「佩刀」とは腰に帯〔お〕びる刀という意味ですが、これは自分用に造らせたもので、刀身〔とうしん〕の茎〔なかご〕(柄〔つか〕にはいった部分)の両面に「殺活応機」「赤松小三郎所 佩」と文字(銘〔めい〕)が刻まれています。


慶応3年(1867)4月に京都で撮影した次項の写真で、小三郎が手にしている刀がこれであることは、洋風の特徴ある鍔 〔つば〕が写っていることからも分かります。日本刀〔にほんとう〕としては、鍔がサーベルのような特殊な形をしているだけでなく、鋒〔きっさき〕が剣のよ うに両刃〔もろは〕になっているなど、かなり特殊なものです。


小三郎が「清次郎」から「小三郎」と改名したのは、文久元年(1861)でした。そこで、この刀は、それ以後写真を撮〔と〕った慶応3年(この年7月に小三郎は暗殺されている)までの間に、注文制作されたものであることが分かります。


小三郎は上田藩兵の洋式調練(訓練)のおり、これを指揮刀として使ったと伝えられています。和洋折衷〔わようせっちゅう〕の新様式であり、わが国の洋式(英式)兵学者の先覚として活躍した小三郎の佩刀として、まことにふさわしいものであったと言えましょう。