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丸子良存寄進状(生島足島神社文書)

種別 :国指定 重要文化財 古文書
指定日:昭和62年6月6日
所在地:下之郷701 生島足島神社
年代 :室町時代後期から江戸時代初期

解説

この文書は丸子良存という武将が、戦に出ている息子の無事を願って、下之郷の生島足島神社の神官に「五百文の広さの土地から取れた本年の作毛〔さくげ〕(収穫物)を寄進しますので民部少輔〔みんぶのしょう〕の無事をお祈りして下さい。」と頼んだときの寄進状です。


この文書は用紙を横に二つに折った、折紙の形式になっています。

年号が書かれていないので、何時〔いつ〕ごろのものか、はっきりしませんが紀州〔きしゅう〕(和歌山県)高野山の蓮華定院〔れんげじょういん〕というお寺にも、良存が息子の身体堅固〔しんたいけんご〕を祈って下さいと頼んだ書状が残っていて、書状の中に「当国(信濃国)はことごとく甲越の取合〔とりあい〕に候。(下略)」と書かれていることから、甲斐〔かい〕(山梨県)の武田信玄と越後〔えちご〕(新潟県)の上杉謙信が、天文〔てんぶん〕二十二年(1553)から、永禄〔えいろく〕年間(1558—70)にかけて、幾度も戦った川中島合戦ごろの文書と考えられています。


また丸子良存(依田良存)は蓮華定院の、戒名〔かいみょう〕や死亡年月日などを書き記した過去帳〔かこちょう〕に「腰越丸子良存」と書かれています。また、依田大和守春賢という武将が、武田信玄から中丸子・下丸子(いずれも丸子町)などの土地を与えられているので、この一族であろうと考えられていることなどから、腰越(丸子町)一帯を領有していた、武田氏配下の武将と考えられています。なお良存の館〔やかた〕は、腰越集落西側の山麓に、昭和二十年(1945)ごろまであった、蓮乗寺〔れんじょうじ〕跡一帯と推定されています。


戦国時代に小県地方の一武将が、戦争に出た息子の無事を願って、神社にお祈りを頼み、寄進状を出していることは、戦うことについてのみ多く残っている文書の中で、当地方の武将の心情を知る上で、興味を引く貴重な文書です。