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壱叶・三かわ連署願文

種別 :国重要文化財 古文書
指定日:昭和62・6・6
所在地:下之郷

解説

この文書は戦国時代の武将室賀信俊〔むろがのぶとし〕の妻壱叶と、信俊の弟経秀〔つねひで〕の妻三かわが、武田信玄〔たけだしんげん〕に従って出陣した夫〔おっと〕の無事を、下之郷大明神(生島足島神社)にお祈りして差し上げた、お願いの文書で、願文といいます。この時代の女性の願文や女性の花押〔かおう〕(書〔か〕き判〔はん〕)を記した文書は、例が少なく大変珍らしいものです。


願文には「このたび三州〔さんしゅう〕(愛知県)長篠〔ながしの〕において、室賀が籠城〔ろうじょう〕していますが、無事帰ることができたら、法楽能〔ほうらくのう〕(神仏にささげる能楽〔のうがく〕)を神前に献じます。どうかお願いします。」と、壱叶と三かわが連名で書いたので、連署願文といいます。


甲斐〔かい〕(山梨県)の武田信玄は元亀三年(1572)十月、信州伊那谷を通り、遠州(静岡県)や三州方面の織田・徳川勢を攻め、十二月には遠州の二俣城〔ふたまたじょう〕や三方ヶ原〔みかたがはら〕を、翌元亀四年二月には三州の野田城や長篠城を攻め落としました。


ところが信玄は、陣中で病気が重くなり、帰国の途中元亀四年四月十二日下伊那の駒場〔こまんば〕(阿智村)で死去したと伝えられています。このため急いで戦線を縮小した武田勢の中で、長篠城番を命ぜられた信俊・経秀兄弟は、籠城という苦しい立場に立たされました。室賀兄弟の妻二人は、夫たちの苦境をひそかに知ったのかもしれません。元亀四年八月十七日下之郷大明神に心をこめて、願文を捧げたのです。

戦国時代の武将の妻が、戦陣にいる夫の無事を願い、生きて帰ってほしいと願う気持を、うかがうことのできる、数少ない、貴重な文書といわれています。


信俊の本拠地〔ほんきょち〕室賀郷(上田市室賀)原組には、山城の笹洞〔ささぽら〕城跡と、麓の居館原畑城跡があって、室賀氏館跡といわれています。壱叶はこの館〔やかた〕に住んでいたのでしよう