この文書は年月日が「天正庚ちょう林鐘廿四」と書かれています。庚ちょうは庚寅年〔かのえとら〕で天正十八年(1590)にあたります。林鐘〔りんしょう〕は陰暦〔いんれき〕六月のことです。したがって天正十八年六月二十四日に、平〔たいら〕という姓を名乗〔なの〕る盛幸という武将が「自分の身体がよくなりましたら、下之郷大明神(生島足島神社)に御神領として土地を寄進いたします。」と約束した、お願いの書付ですので、願文と呼ばれています。
盛幸の名で下に書かれた花押〔かおう〕(書き判〔はん〕)が、武田信玄〔しんげん〕の花押とよく似ているので、以前は信玄に仕えていたが、武田氏滅亡の後は、真田昌幸〔まさゆき〕の配下の武将となった人物と思われます。
平盛幸の信仰の厚かった下之郷大明神に、身の安泰を願ったことは、当時の一武将の気持ちを知る上で、興味深い願文です。
懸紙〔かけがみ〕(包み紙)には「御願い奉ることが思うように成就〔じょうじゅ〕するように。」と書かれています。