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工藤美作守等定書案(生島足島神社文書)

種別 :国指定 重要文化財 古文書
指定日:昭和62年6月6日
所在地:下之郷701 生島足島神社
年代 :室町時代後期から江戸時代初期

解説

延喜式にも載っている下之郷大明神(生島足島神社)は当地方において、最も格式の高いお宮です。このお宮の神官や宮僧〔くそう〕(供僧と同じ。神社で仏事を修する僧)が、戦国時代末期の天正十九年(1591)十月に、同社に仕えるきまり三か条を定めた、定書〔さだめがき〕の案〔あん〕(写〔うつ〕し書〔がき〕)です。写し書であることは、署名した三名の氏名の下に、本人の捺印〔なついん〕あるいは花押〔かおう〕(書き判〔はん〕)がないからです。


定書には
「一、社〔やしろ〕(下之郷大明神)では、天下泰平〔てんかたいへい〕・国家安全の御祈祷〔ごきとう〕のため、毎朝御神楽集会〔かぐらしゅうえ〕の鼓(太鼓〔たいこ〕)を三度打ち鳴らすので、遅参〔ちさん〕しないこと。
一、社に仕えている者は、だれもが礼儀を守り、怠けおこたることがあってはならない。
一、内々同士で、うらみごとがあっても、御神前で喧嘩〔けんか〕・口論〔こうろん〕してはならない。もし喧嘩・口論をする者は、掟〔おきて〕(とりきめ)に従い、その座を立ち去らせること。
右の三か条は、宮僧・神官一同の掟である。」と書かれていて、掟の内容が具体的にわかる貴重な文書です。


この掟をなぜとりきめたのか、はっきりしませんが、武田氏や真田氏が、殊のほか崇敬〔すうけい〕していた社でもあったので、宮僧や神主たちの間で、務めがおろそかになったり、何か争いごとなどがあったため、いろいろ話し合った結果、気持ちを引き締めて仕えるようにしようと、取りきめたものでしょう。


三人の連名を見ると、工藤美作守(神主)・神宮寺〔じんぐうじ〕(宮僧)・祢宜〔ねぎ〕伊勢守となっていますが、神宮寺はお宮を守る仏様をおまつりするお寺のことですが、ここでは寺に仕える僧を指します。神宮寺は明治維新以後廃寺〔はいじ〕となりました。