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開善寺宛武田信玄定書

種別 :市指定 古文書
指定日:昭和54・4・9
所在地:上田市立博物館

解説

この文書は現在上田市新田にある海禅寺が、戦国時代に小県郡東部町海善寺地区にあった当時、武田信玄が永禄5年(1562)11月7日、この寺に祈念を頼み、願がかなったときには、開善寺(海善寺・海禅寺)に、以前の通り土地を寄付することを約束した定書です。


何をお祈りするように頼んだのでしょうか。実は前年の永禄4年には、世に名高い川中島大合戦が行われましたが、勝敗がつきませんでした。


そこで次の年にこの定書を出し、上杉謙信〔うえすぎけんしん〕に勝つことができるよう、開善寺の大坊〔おおぼう〕(寺を管理する僧の頭のすまい)にお祈りを頼んだものと思われます。このころ信玄は各地の寺社に願文〔がんもん〕や寄進状〔きしんじょう〕を数多く出して、戦勝を祈っていることから、この定書もその一つでしょう。信玄の謙信に対する決意のほどを、うかがい知ることのできる貴重な文書です。


開善寺は古くは名族海野氏の祈願寺〔きがんじ〕でしたが、海野氏が滅〔ほろ〕びたあと、天正11年(1583)真田昌幸〔まさゆき〕が上田城を築いたとき、海野郷から今の場所に移されました。


この定書に信玄の氏名がありませんが、写真に見える年月日の下の花押〔かおう〕(書き判〔はん〕)が、信玄のものですので、信玄の定書であることがわかります。

東部町の開善寺跡には今も、大坊という地名が残っています。