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西光寺宛武田信玄朱印状

種別 :市指定 古文書
指定日:昭和55・4・8
所在地:中組

解説

この文書は戦国時代の元亀元年(1570)に、西光寺から鎖張〔さはり〕を進上された武田信玄が大喜びで、褒美〔ほうび〕として普請役〔ふしんやく〕や兵糧〔ひょうろう〕運送役を許してやることを定め、重臣の三枝勘解由左衛門尉〔さいぐさかげゆさえもんのじょう〕に命じて、西光寺に申し伝えた朱印状です。九月二十三日の日付の下の朱印は、信玄が使っていた朱印(竜丸の朱印)が捺〔お〕してあるので「武田信玄朱印状」といいます。


普請役は城や道などを造ったりするとき、人足として出る役目のことです。なおこの朱印状では、西光寺の門前百姓(寺がかかえている百姓)のうち三人分の、普請や兵糧運送の役目を、許してやると定めています。


鎖張は銅・錫・鉛などの合金で作られた椀型〔わんがた〕の器〔うつわ〕で、たたくとよい音を出すので、仏具として用いたといわれています。


信玄が活躍していた時代には、容易に手に入れることのできなかった品物であるだけに、信玄の大満悦〔だいまんえつ〕の様子が、目に見えるような朱印状です。


この朱印状は、信玄が病死する三年前に出されています。信玄は家臣や寺社に宛〔あ〕て、願文(自分の願いがかなうよう神社に祈ってもらう文書)・宛行状〔あてがいじょう〕(家臣などに土地を与えるときに出す文書) ・寄進状(寺社に土地などを寄進するときに出す文書)を数多く出していますが、褒美として出したこのような内容のものは、大変珍らしいもので、信玄の一面をしのぶものとして、興味をひく貴重な文書といわれています。