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野倉惣帳

種別 :市指定 有形文化財 古文書
指定日:昭和56年3月6日
所在地:上田市野倉民俗資料館
年代 :

解説

この野倉惣帳は戦国時代末期の天正十九年(1591)に、野倉村(上田市野倉)の村役人が、領主〔りょうしゅ〕真田氏の命を受けて、年貢高を定めるため、村中の田畑を調べて各人の持ち高をまとめた帳面の手控と考えられています。田畑一枚ごとの広さや収穫量を調べ、貫高で示しているので貫高帳〔かんだかちょう〕(土地台帳の一つ)とも言われます。


写真の書き出しの部分を見ると、壱貫弐百文と書かれた右上に小さく、沢田上・十二田下のように記してある沢田・十二田は田畑のある場所の地名、その下の上・下は上田〔じょうでん〕とか下田〔かでん〕といった田畑の格付です。太郎左衛門は持主です。


この帳面によると田畑の総計は四六貫文余となり、その内太郎左衛門(野倉の土豪と伝えている)が六貫八六三文で最高。以下三貫文代一名。二貫文代二名。あとはそれ以下で、計三六名の持高と名前が書かれています。


真田氏が小県一帯を領有した初期のころの、農村の形態や、真田氏の治め方を知る上で、また上田地方に残る貫高帳として最古のものであることから、史料としての価値がきわめて高い貴重な古帳です。

野倉という集落は、塩田平の奥、女神岳の南の山腹にありますが、歴史的にはかなり古い集落と考えられています。