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信濃国分寺勧進帳

種別 :市指定 古文書
指定日:昭和57・4・13
所在地:国分

解説

勧進帳は「八日堂〔ようかどう〕」で有名な信濃国分寺の現在の本堂(「信濃国分寺本堂」参照)を建てるにあたって、集めた寄付(寄進〔きしん〕)の内容を中心に書き上げてあります。全部で十一冊の帳面です。なお「勧進〔かんじん〕」とは、お寺や神社の建立〔こんりゅう〕などの際に、資金などを募集することを言います。


薬師〔やくし〕堂とも呼ばれる国分寺本堂の建設工事は、文政〔ぶんせい〕十三年(1830)に開始されています。この勧進帳の記載内容は、その一年前から、ようやく完成したという万延〔まんえん〕元年(1860)、さらに、明治の初めの修理にまで及んでいます。


寄進の中身については、まず上田藩主松平氏〔まつだいらし〕の「人足〔にんそく〕千人」のほか、一人で五十両もの大金を出している上田の商人などが目につきます。その一方で、一人で一文〔もん〕ずつの「壱〔いち〕万人講中〔こうちゅう〕」などというものもあります。また、酒を三十樽〔たる〕、五寸釘〔ごすんくぎ〕を一万本、丸柱一本の代金五両等々、種々様々です。寄進者の居住地は、地元の小県郡一帯はもちろん、佐久・更埴・善光寺町(長野市)・松本町・安曇〔あずみ〕方面から上州(群馬県)や江戸にまで及んでいます。


この勧進帳からは、このように信濃国分寺本堂建立についての詳しい内容や、当時のこのお寺(八日堂〔ようかどう〕)の信仰の広がりを知ることができます。また、表紙の手ずれによるくぼみや汚れは、長い年月にわたる勧進の苦心の跡をよく物語っています。