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黄檗版蔵経(安楽寺)

種別 :市指定 古文書
指定日:昭和44・6・5
所在地:別所温泉

解説

安楽寺の境内に経蔵〔きょうぞう〕という建物があり、市の文化財に指定されています。その中にたくさんのお経の本があり、それは『八角輪蔵』(市指定文化財)という書棚に納められています。(「安楽寺経蔵・八角輪蔵」参照)


このたくさんの経本は、江戸時代に中国の僧、隠元〔いんげん〕(1592—1673)が日本に来た時に持ってきたもので、大蔵経〔だいぞうきょう〕といいます。大蔵経というのは、仏教全般の経典で一切経ともいいます。このたくさんの経本を弟子の鉄眼道光〔てつげんどうこう〕(1630—1683)が十九年の歳月をかけて翻訳〔ほんやく〕・復刻〔ふっこく〕・出版の大事業を成し遂げたことから『鉄眼の一切経』といい広く知られています。


京都宇治の黄檗山万福寺宝蔵院には、六九五六巻の一切経を印刷した版木が、総数四万七〇三八枚(桜材)という膨大〔ぼうだい〕な数になって現存し、国の重要文化財に指定されています。黄檗版とは鉄眼が版木をつくった六九五六巻の大蔵経をいうのです。


安楽寺の一切経は、寛政十二年(1800)に安楽寺の第十三世南沖仏鰻〔なんちゅうぶっこん〕代に出版元の宝蔵院から購入されたものです。費用は銀十三貫三八0匁一分で、運搬に馬荷三駄半(一駄は馬一頭に負わす重量)を要したという記録があります。経典は全部で六七七一巻が六七七函〔はこ〕に分類され、二七五の帙〔ちつ〕(書物が傷〔いた〕まないように包むおおい)に納められています。


宝蔵院には、この大部の経典を安楽寺へ送った記録が「全蔵漸請〔ぜんぞうざんせい〕千字文朱点簿〔しゅてんぽ〕』という記録簿に残されており、安楽寺に現存する数と一致しています。完全に保存されている点で貴重なものです。

なお隠元は、寛文三年黄檗宗という禅宗の寺を開きました。