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染屋焼コレクション

種別 :国指定 重要有形民俗文化財
指定日:昭和39年5月29日
所在地:二の丸上田市立博物館
年代 :江戸時代末期から昭和初期

解説

染屋焼は水がめ・つぼ・鉢など実用のための焼きもので、見かけからがっちりとして全体に厚く丈夫そうに見え、大変重いことが大きな特徴といわれています。これは、神科たんぼや上沖と呼ばれる土地の粘土を材料にして、鉄砲窯〔かまど〕(傾斜地に吹出口を上に筒型に築いた窯)で、松薪〔まき〕を燃料として千二百度から千三百度の高温を加え、二、三日入念に強く焼きしめたものです。


鉄分の多い耐火性の低い土のため、薄いものや小さいものでは焼成中に崩れたりゆがんでしまうので、大きなかめの類など厚手のものが焼かれ、全体として厚ぼったく田舎くさい素朴な造りに上がっています。


しかも、その製法の過程では、原料粘土をよくこねて長く棒状に伸ばし、輪の形に巻きながら積み上げ、竹べらで形を整えていく「ヒモツクリ」という原初的な工法が用いられました。


また、焼成中に原料粘土の鉄分が溶け出し、窯内の燃料の松の灰がふりかかり、ともに自然の上薬〔うわぐすり〕の作用をして、一層独特の色彩と光沢を持って、何ともいえない深味のある作品に仕上がっています。


その製作年代は、常滑〔とこなめ〕(愛知県)から職人が入って技術指導をしたと伝える江戸中期以降明治中期にわたり、地元の西沢一門を中心に受け継がれてきました。その後、今までの鉄砲窯を登り窯(階段式に築き下から上に焼き上げるもの)に変えて量産に努め、道路や鉄道線路の排水土管の製造を広めるようになって、染屋焼とは異なるものになりました。交通の発達で、有名産地の瀬戸・常滑からの大量移入に圧迫されて衰退をたどり、昭和初期には窯を閉じました。


この上田地方は水便が悪く、水の確保に難儀をした所なので、染屋焼の中では水がめの需要が高く、最も多く焼かれたものです。このように、染屋焼の製品の大方は庶民の暮しを支えたもので、この博物館には、大小のかめ・つぼ四六点、すり鉢・金魚鉢の類一二点、灯ろう・流しなど八点を合わせた六六点が収納されています。いずれも、時代の特色を示すものとして大変貴重なコレクションになっております。