能を演じるときの装束〔しょうぞく〕に使われた衣裳の一つで、これは近世上田地方で織られた「上田縞」と呼ばれる絹織物で仕立てられたものです。
上田小県地方は早くから養蚕が盛んで、絹織物を発展させるきっかけを持っていました。仙石氏が藩の赤字財政の解決策として、この絹織物の生産を奨励し、十七世紀中ごろには商品としての需要を伸ばし、全国に知られるようになりました。この頃の上田城下原町の「原町問屋日記」には、藩への上納の記録も多数みられます。(原町滝沢家日記」参照)
こうして、上田地方で織られた上田縞が真田家(松代藩)より加賀前田家に贈られ、前田家から江戸の能楽者家元某に渡ったという口伝〔くでん〕があります。
この能衣裳は「小格子厚板〔こごうしあついた〕」といわれて、主として能楽の男装用の小袖に用いられました。「厚板」は張りのある重厚な織物で、男性の出立〔いでたち〕の老体や地味な役に着付けました。能の曲目の「高砂〔たかさご〕」や「老松〔おいまつ〕」を演じる翁に使われました。
これには刈安〔かりやす〕草(黄)や揚梅皮〔やまもも〕(茶)など、色素に植物染を用いていることから、完全な草木染としての当時の名残りがみられます。また、江戸期の能衣裳の着付の形をうかがえるものとして、織糸上田縞の味わいを知る貴重なものといえます。