上塩尻は蚕種業では信州の中でもっとも進んだところでした。この地区は河川沿岸で、ウジバイの害のない桑畑に恵まれ、蚕種業の先駆者も輩出しましたが、藤本善右衛門が中核になって、その製造と販売に力を入れました。
写真に見るような「黄金生〔おうごんせい〕」という繭は、文政十年(1827)善右衛門昌信が、古くから普及していた「又昔〔またむし〕」の雌と、野生の近縁種「クワコ」の雄の交尾により作り出しました。
弘化二年(1845)には善右衛門縄葛〔つなね〕が、ウジバイの害にかかりにくい「信州かなす」を育成するなどして、飼育成績が抜群にすぐれ評判がよく、結城〔ゆうき〕や奥州の先進地を追い越し、上塩尻が名実共に日本一の蚕種の本場となりました。
こうして、近世から優良蚕種の製造と普及に努めた伝統の上に、品種改良に協同態勢を早くから取り込み、藤本がその中心として、常にいて行ってきたのです。品種改良のための標本640種2500粒に達するこの集大成から、最良品種を作り出すために、いかに関係の人たちが努力を積み重ねたかが、よく察せられ ます。