カテゴリ 閉じる

常田獅子

種別 :市指定 無形民俗文化財
指定日:昭和43・4・24
所在地:常田

解説

常田獅子は房山〔ぼうやま〕獅子と共に、上田地方に伝わる代表的芸能の第一に数えられるものです。天正十一年(1583)真田昌幸が上田城を築いたとき、召されてその地固めの祝に演舞したと伝えられています。また、仙石忠政の上田城修築の折にも、先例にならいこの獅子踊りが奉納されました。以来江戸時代を通じて年々城祭と呼ばれる当地の祇園祭に、城主の居館〔きょかん〕の庭へ踊り込み、殿様に見て頂くことがしきたりとなりました。元来は災厄からのがれるため信仰された天王社の、祭礼に出されていた獅子踊りでしたが、代々の城主の保護のもとに次第に藩や城下の人々から重く扱われ、磨きをかけ格式高く、豪華なものになっていきました。


この獅子は三人一組で踊るもので、獅子の他に鉦叩〔かねたた〕き6、笛9、唄揚〔うたあげ〕12などと3の倍数で組み立てられており、獅子と鉦叩きには手替りもつきます。扁平〔へんぺい〕な赤い張子〔はりこ〕の面をかぶった獅子は、頭から背中一杯にかけて長鳴鶏〔ながなきどり〕の黒羽をつけ、長い角〔つの〕の先獅子と後獅子の二頭が雄〔おす〕、短い角の中獅子一頭が雌〔めす〕で、共に下顎〔あご〕から胸にかけて「まより」と呼ぶ幕を垂らし、格子縞の単衣〔ひとえ〕に縦縞の裁付〔たつつけ〕と手甲をつけ、黒足袋に草鞋〔わらじ〕をはきます。大きな特徴は腰太鼓を付けないで、撥〔ばち〕の代りに右手に四角な小うちわ、左手に鈴を持ちます。


獅子を先導して一緒に踊る祢宜〔ねぎ〕(中立〔なかだち〕)は、赤い天狗面に黒鳥帽子〔えぼし〕をかぶり、赤青二色の布で鉢巻をします。単衣と棒縞の裁付をつけ、その上に緑色の地に松竹の白の抜染のある狩衣を着、腰に大反りの大刀をはきます。表に鶴、裏に亀の絵が描かれ、周りに五色の細かい飾りをつけた大団扇〔うちわ〕を持ち、黒足袋に草鞋をはきます。鉦叩きは少年がつとめ、赤い目と鼻ばかりの面をつけて、頭には赤い鍬〔くわ〕型の間に三頭ずつ月と日の形をつけた鳥毛の兜〔かぶと〕をかぶり、腰に刀をつけ陣羽織をはおり、右手に撞木〔しゅもく〕左手に鉦を持ち、黒足袋に草鞋をはきます。鉦の表面を打つ伏鉦の叩き方をして、念仏系の名残りを思わせます。


囃子〔はやし〕方には万頭〔まんじゅう〕笠をかぶった笛と、背負子〔しょいこ〕に結〔ゆ〕わえた締太鼓の打手がおり、一文字笠をかぶり、開いた白扇を口にあてて、獅子歌を詠じる唄揚とも、紋付裃〔かみしも〕姿で黒足袋に草履〔ぞうり〕で揃えます。 このほか、五色の短冊をたくさんつけた青笹を一本宛担ぐ笹持や、一文字笠に麻裃〔あさかみしも〕の警固〔けいご〕など大勢が加わります。

経済的な事情などから明治維新以降は、特別な地方行事のある時に限って催されるようになりました。今でも獅子は祭りの場へ神の資格で訪れるという考えから、ものものしい行列を仕立てて参入し、ねこ(藁で編んだ厚手の敷物)の上で踊ることになっています。


常田獅子の演舞
常田獅子の鉦叩き