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房山獅子

種別 :市指定 無形民俗文化財
指定日:昭和43・4・24
所在地:川原柳・房山ほか

解説

城下町形成以前から山口沖の「天王屋敷」という所に付属する獅子踊りがありました。真田昌幸の上田築城の際に常田と共に召されて、地固めの祝に獅子を演舞したことから、以来江戸時代を通して当地の祇園祭の行事に城祭として、常田獅子と共に踊りつづけてきたという伝承を持っています。


これは一人立〔いちにんだ〕ちで獅子頭をつけた者三人が一緒に踊る形の獅子舞で、そこへ祢宜〔ねぎ〕或は中立〔なかだち〕と呼ぶ者や、少年が扮〔ふん〕する小天狗の鉦叩〔かねたた〕きが付いて踊るものです。房山獅子の組立をみると、踊り手には獅子3、小天狗6、祢宜1がおり、他に手替〔てがわ〕りが同数つきます。囃子〔はやし〕方には太鼓1(手替り1)、笛10、唄揚12がおり、獅子係の後見12、笹持12など、笛を除いて常田同様に3の倍数になっていて、それに警固が多数つきます。


その役割分担が町別となっており、獅子と祢宜は上・下川原柳、笛は上・下房山、唄揚〔うたあげ〕は新田、警固のうち柳町と紺屋町は行列の先頭に、愛宕町は最後尾につくなどその伝統が守られています。


役柄の装束では、獅子は三頭とも凄味〔すごみ〕を持ち、先獅子と後獅子は雄で口を開き、中獅子は雌で口を閉じ頭に宝珠をのせています。いずれも黒羽根を用いた長大なたて髪を背後につけ、顔を覆う布を前に垂らし、腰に羯鼓〔かつこ〕をつけずに右手に黒い小うちわ、左に鈴を持ち、腰の両側に五色の小御幣〔おんぺ〕をはさみます。祢宜はいかつい天狗面をつけ、金色の鳥兜〔とりかぶと〕をかぶり、右手に五色の大幣〔ぬさ〕を左手に鈴を持ちます。六人の鉦叩きの小天狗のうち、三人ずつ赤と黒の鬼面をつけ、赤面は黒く黒面は赤く麻糸を染めた髪を後に垂らします。この祢宜・獅子・小天狗の踊り手は全員が白足袋に統一しており、黒足袋で揃〔そろ〕えている常田の場合と対称的な違いがみられます。この他の囃子方や警固など、一文字笠をかぶり麻裃姿に草履〔ぞうり〕ばきで、常田の場合と同様です。


祢宜の天狗面については、嘉永年間(1848―1854)山口村庄屋の弟で、望月伝平という彫刻の上手な人が、殿城の瀧水寺〔りゅうすいじ〕に伝わる猿田彦面を、写しとると災いがかかるといわれているのにそれを恐れず、彫り上げたものといわれます。


房山獅子の踊りの仕草は稲刈風の豊年踊りを表わすともいわれて、常田と比べておとなしい動きです。

この房山獅子は、原之郷赤井(現真田町)の東に位置する天箱〔てんばこ〕山を形どったと伝える、原町の「お山の天王山車」と結びついてきました。このことは、常田獅子が海野町の「お舟の天王山車」と結ばれていたことと対比して、伝統の上田祇園祭を歴史的にみていく上でも、その資料的な価値が高いといえるでしょう。


房山獅子の演舞(宮下正義氏蔵)
五色の大幣を持ち先導する祢宜
少年が扮する小天狗の鉦叩き(宮川一男氏撮影)