塩田平の西辺に位置する別所温泉地区には、「岳の幟」と呼ぶ雨乞〔あまご〕いの祭りが伝わっています。この塩田地方は昔から水不足で大変悩まされてきた所で、灌漑〔かんがい〕用の溜〔ため〕池も多く造られ、雨乞い行事もいろいろ行われてきました。
言い伝えによると、室町時代の永正〔えいしょう〕年間(16世紀初め)に大きなひでりが続いて、水は涸れ〔か〕れ作物はほとんど緑を失ってしまう有様に、村人は村の西にそびえる夫神岳〔おがみたけ〕(標高1250m)の山の神様に雨乞いの祈願をしたところ、恵みの雨が降り作物がよみがえりました。喜んだ村人はそのお礼として、夫神岳の山頂に祠〔ほこら〕を建て九頭竜〔くずりゅう〕神をお祀〔まつ〕りして、毎年各家で織った布を奉納し、感謝と祈願をしたのが初めとされています。
また、塩田地区ではもともと祇園祭に出されてきた竜型の三頭獅子と、子供が踊るささら踊りとがセットになっている所が多くありました。痛んだ獅子面を新調した昭和9年以降、岳の幟と祇園祭の期日が近いことから岳の幟・三頭獅子・ささら踊りを一緒に行うことにして、それがしきたりになりました。
祭日は例年7月15日(近年その日に近い日曜に変更)として、別所の上手〔わで〕・院内〔いんない〕・大湯〔おおゆ〕それに昭和49年大湯から独立した分去〔わかされ〕の四地区で、輪番〔りんばん〕に幟の役に当ります。夜明前に、上部に笹のついた竹竿と巻いた布を担いで夫神岳に登り、日の出と共に九頭竜神の石祠に布と神酒を供え、郷中の安全と五穀豊饒〔ごこくほうじょう〕を祈ります。
青竹に一反の浴衣〔ゆかた〕地や布団〔ふとん〕地を結んでつるし、この華やかな彩りの幟に神霊を寄りつかせて、これを押し立てて里に下り、塩水〔しおみず〕地籍で待っている神主や氏子総代に迎えられ、手替〔てがわ〕りの人たちに幟を渡します。
支度を整えて日影公民館に待機をしていた三頭獅子とささら踊りの一行がそれに加わり、行列をつくり温泉街を一巡します。長寿園前・石湯前・大湯前・相染閣〔あいぜんかく〕前の四カ所で、笛・太鼓の囃子に合わせて、竜頭青面の雄獅子二頭と竜頭赤面の雌獅子一頭が、両手に持つ撥〔ばち〕で腰太鼓を打って踊ります。この三頭獅子は上田小県地方には多くみられますが、これから西の方にはなく、大切な地域の特色をみせています。
ささら踊りは、竹の枠に牡丹〔ぼたん〕の造花をつけた花笠をかぶり、浴衣〔ゆかた〕を裾〔すそ〕短かに着て水色のたすきをかけ、黄色の手甲脚絆〔きゃはん〕に赤緒のいつけ草履〔ぞうり〕をはき、鼻筋に白粉〔おしろい〕を塗った小学校中学年以上の女子が演じます。はじめささらを逆に持ち、柄を打ち合わせながら輪になり、本唄に入ってささらを持ち替えて摺〔す〕ります。
この九番ある唄は獅子唄として関東地方に多く似た唄がありますが、別所を含めた塩田川西地区では三頭獅子に唄がつかず、集団で華やかさを盛り上げるささら踊りで歌われています。こうして、最後は別所神社の神前に捧げて終ります。この幟に用いた反物で浴衣や布団を仕立て身につけると、年中無病息災で暮せると言い伝えられています。
なお、夫神岳山頂に祠〔ほこら〕を建てる時に、別所と青木村夫神のいずれに向けるか協議の末、牛(別所)と馬(夫神)を山へ駆け登らせて、歩くことの遅い牛が勝って別所の方へ向けたという話も伝えられています。
色鮮やかな幟を申し立てて下山する岳の幟
一反の布地に別布を付け足し竜の形にみせる幟
大うちわを持つ天狗のつかない別所の獅子踊り
華やかな「ささら踊り」