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保野の祇園祭

種別 :市指定 無形民俗文化財
指定日:昭和44・6・5
所在地:保野

解説

塩田地区のほぼ中央に位置する保野は、中世には日を決めて市〔いち〕の立った場所として、近辺の経済を支える一基点でした。ここの鎮守の塩野神社の祇園祭は、平成十年から400年ほど前、京都の祇園社から素戔鳴命〔すさのおのみこと〕の御霊〔みたま〕をお迎えして始めたと伝えられています。ある年大凶作で、祭どころでないと休んだところ疫病が大流行しました。獅子を踊って疫病を退散させることが出来ましたので、その後は凶作でも休まず続けてきました。


7月1日のしめ張りの儀式「天王下〔おろ〕し」から始まり、同月第三日曜の「本祭り」終了まで、すべて古いしきたりが守られて整然と祭りが進行します。ご神体が仮宮の市神へお渡りになる行列で神輿〔みこし〕を担ぐ「本当番」、宵祭りに徹夜〔てつや〕で仮宮の警護をつとめ、行列では矛〔ほこ〕や神器を奉持する「添〔そえ〕当番」の各4名、それぞれ任期一年を務めます。


なお、祭典行列に太鼓を担ぐ「見習い」を含めると、三年奉仕することになります。行列が集落の上手口に入るとき、警固長による「注連〔しめ〕切り」があり、奉迎の人たちは無病息災を祈って神輿の下をくぐる「天王くぐり」をします。大団扇〔うちわ〕と大幣〔ぬさ〕を持つ天狗が先立ちで、虎型の頭をした三頭獅子が一文字笠に裃〔かみしも〕姿の囃子〔はやし〕方の笛・太鼓の道ゆきの曲で、地区内の悪魔払いをしながら進みます。


市神に移られたお旅所前と、翌日午後本社に帰られた広庭で、女の子たちが花笠に浴衣手甲はばきの色鮮やかな早乙女〔さおとめ〕の揃い姿で、大きな輪をつくりささらを摺〔す〕って踊ります。その後に、天狗と一緒に雄二、雌一による三頭の獅子踊りがあります。獅子には唄がつかないで、ささら踊りの方に関東地方の獅子舞でうたわれるものと似た唄がたくさん入ります。また、役付経験者による「祇園囃子」が奏じられます。


虎型の頭の保野の獅子踊り
早乙女の揃いの姿で踊るささら子たち