この三頭獅子は、500年ほど前この地で活躍した室賀一族の氏神沓県〔くつがた〕明神に保管されてきた獅子と伝えられています。その後安政年間(1854—60)上田藩主松平忠固〔ただかた〕の城修繕の際、招かれて奉納し、褒美として松平家の家紋の使用を許され、獅子の前垂〔たれ〕に付けて踊るようになりました。明治44年(1911)には本・原・中・入の四組が合同で、室賀水上〔みなかみ〕神社の秋祭りが催〔もよお〕されています。
まず道行〔みちゆき〕の囃子〔はやし〕で神社の庭に参入します。大団扇〔うちわ〕を採〔と〕る天狗を先頭に、花笠をかぶり摺〔す〕りささらを持つ子どもたちが舞い込み、大きな輪形をつくり「ささら踊り」となります。大太鼓と笛の囃子で、唄上げが詠じるささら唄に拍子をとって踊り、再び天狗の先立ちで輪をとき列になって退場します。
小さな獅子頭をつけて三人一組で踊る三頭獅子は、笛と付け太鼓により舞いの手をつないで一続きに踊ります。一頭の雌を二頭の雄がうばい合う筋を見せますが、終始穏やかに上品に演じます。
ささらを摺りながら踊る子どものささら踊り
穏やかに踊る三頭獅子