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佐藤家住宅(三ツ引)

種別 :国登録 建造物
指定日:令和3年6月24日
所在地:上塩尻90

解説

構造
主屋及び奥上段 木造2階建、茅葺(鉄版仮葺)、建築面積288m²
蚕 室 木造2階建、瓦葺、建築面積118m²
物 置 木造2階建、瓦葺、建築面積33m²
消毒室 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積23m²
文庫蔵 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積31m²
穀 蔵 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積25m²
味噌蔵 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積20m²
屋敷神 木造平屋建、鉄板葺、建築面積1.3m²
門   木造、瓦葺、間口2.6m、左右袖塀付

ここ塩尻では、旧佐藤宗家(一時期「藤本」と名乗った佐藤の本家)が、江戸中期の寛文年間(1661~1673年)より蚕種(蚕の卵)の製造を始め、多くの人々の努力、研鑽によって蚕種業が栄えました。江戸末期から明治初期、蚕の病気である微粒子病が まん延して壊滅した欧州に、日本から蚕種が輸出され全体の3割前後の上田産が占めましたが、その多くはこの地で製造されたものであり、日本一の蚕種の郷といわれました。


佐藤家住宅(三ツ引)は享保十二(1727)年、旧佐藤宗家より分家し、江戸時代は庄屋を務め、昭和の中頃まで蚕種業を営んできました。蚕種業が盛んになった江戸末期から明治期に、以前からあった主屋及び奥上段が増築改修、物置・文庫蔵・穀蔵・味噌蔵・屋敷神が改修、門が移築、二階建の蚕室が新築されました。これらは、蚕種家 佐藤尾之七邸宅として明治30(1897)年発行の銅版画集である日本博覧図(第12編)に掲載されています。その後、蚕具を消毒するため部屋の内部を漆喰で塗り込んだ消毒室が新築されて、蚕室は全部で九部屋を数えました。これら全てが当時の姿をよくのこしており、蚕種業の発展に基づく屋敷構えの形成過程を現在に伝える貴重な建造物です。