
(折懸封紙ウハ書)
「千石権兵衛とのへ」
九月十八日書状到来、披見を加へ候。其〔そ〕の面〔おもて〕絵図ならびに両使口上の趣、聞こし召し届けられ候。
一(元親)長曽我部、罷り着すに於ては、(大友)義統相談、其の方事妙見の至り、相移るべき由、尤もに思し召し候の事。
一(輝元)毛利・(元春)吉川・(隆景)小早川、其の外中国人数、門司に至り渡海せしめ、手寄り次第敵城取巻くべき由、仰せ出だされ候。左候へば、妙見と定めて程近くこれ有るべき条、能く能く相談、越度〔おちど〕なき様調儀肝要の事。
一門司表敵城取巻き候とも、敵後ろ巻き仕り候儀はこれ有る間敷く思し召し候へども、敵を請け候城を、四ツ五ツも相拵へ、自来秀吉城を御取巻き行き仰せ付けられ候ごとく、丈夫に申し付くべき旨、仰せ出だされ候間、彼の表の儀は手堅くこれ在るべき条、左様に候はば、其の方陣取りの儀、少しも聊爾なき様に覚悟せしむべき儀、専一の事。
一毛利・吉川・小早川・其の外中国人数、門司表に在陣せしめ候はば、島津薩摩へ引入り候義これなく、中途につり留められくたびれ候て、迷ひ来たらしむべく候所へ、段々に御人数を遣はされ御馬を出され候はば、彼の悪逆人ひとりころびをいたすべく候間、手間入らず一人も洩らさず、首を刎ぬべき儀、手に取らせられ候程に思し召し候の事。
一路次柄、法度〔はっと〕以下念を入れ申し付くる通り神妙に思し召し候。将又〔はたまた〕兵粮等の儀、覚悟せしむる通り聞し召し届けられ候。去りながら関戸に至り御兵粮遣はされ候。猶以って追ひ追ひ仰せ付けられ候間、(行長)小西弥九郎かたへ申し遣はし、最前仰せ出だされ候如く、請取るべく候。猶追ひ追ひ言上すべく候也。
十月三日 (豊臣秀吉)○朱印
千石権兵衛とのへ
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