加舎白雄墨書〔かやしらおぼくしょ〕酒中仙(小林家)


種別 市指定 書跡
指定 平成2年2月20日
所在地 上田市立博物館
所有者 個人蔵

一曲の屏風〔びょうぶ〕の右に「酒中仙」と大書し、左に「緑毛亀〔みのがめ〕の蓬〔よもぎ〕にこもるさつき哉〔かな〕」と一句をそえています。古来、緑毛亀(甲に藻が生えて緑色になった亀)は酒が大好物であると伝えられています。白雄自身もたいへんな酒豪であったようで、その心境を「酒中仙」のことばにたくしたものと思われます。本書は、白雄の大幅の書の中でも傑作の部に入ります。紙面にくいいるような力強い筆圧、そして堂々とした運筆です。また白雄独特の行書体は格調が高く、江戸時代中期に活躍した俳諧師〔はいかいし〕加舎白雄の、その人格をうかがい知ることができます。制作年代は、天明期によく用いた「酒載来」(白文円印)の関防印〔かんぼういん〕(右肩に押す印)からみて、天明期頃の書とみてまちがいないでしょう。現在一曲の屏風に仕立てられていますが、本紙の大きさは、縦127.5cm、横53.5cmです。

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   加舎白雄の経歴はおよそ次の通りです。元文3年(1738)上田藩士加舎忠兵衛の次男として、江戸上田藩邸で生まれましたが、早くに両親を失い藩邸を出ました。そして明和2年(1765)白雄二十八歳のとき、松露庵烏明〔しょうろあんうめい〕の門をたたき俳諧の道に入り、後に烏明の師鳥酔〔ちょうすい〕について学びました。安永5年(1776)事情があり烏明と決別し、同9年(1780)日本橋鉄砲町に春秋庵を創設、俳諧師として独立しました。白雄四十三歳のときです。その後、春興帖『春秋稿」を刊行、無私の論による俳諧の実践、俳諧論『加差里那止〔かざりなし〕」『寂栞〔さびしおり〕』を執筆するなど、俳諧の師匠としての実績を積み、門弟数千人に及び、江戸中期、屈指の俳諧師になったと伝えられています。なお白雄は、寛政3年(1791)9月、江戸の地で五十三歳で没しています。
また郷里である上田との関係では、明和7年(1770)に信州の俳人を中心に処女撰集『おもかげ集』、明和8年(1771)に春興帖『田ごとのはる』を刊行しています。信州にも門弟はかなり多くいたようですが、上田地方では小島麦二〔ばくじ〕、児玉左十、成澤雲帯〔うんたい〕、岡崎如毛〔じょもう〕、荒井三机〔さんき〕、荒井争茂〔そうも〕、小島玉馬〔ぎょくば〕、伊藤文〔ふみ〕か、池田家副〔かふく〕、宮本虎杖〔こじょう〕、飯島路一〔ろいつ〕、倉田葛山〔かっさん〕などが注目される弟子としてあげられましょう。