八田たつよは、
終戦になり、やっと迎えた平和でしたが、生活のすべてが不安な状況でした。新しい時代は民主主義や男女平等を掲げた動きが一挙に押し寄せ、日本の転換期を迎えました。八田も新しい出発となり、戦前からある婦人会活動にも参加し、次第に頭角を現していきました。自治会運営に女性は参加しないという習慣を改め、男女が協力し合う地域づくりを提案して、自ら実行に移しました。
昭和23年、上田市は上田公園内の公会堂を公民館とし、八田ら市民から選ばれた公民館委員が中心となって活動する体制をつくり、その後公民館運営審議会制度ができ、八田ら5名の女性を含む20名が委員に選ばれ活動しました。この時代、七人の
戦後第1回目の市議会議員選挙で1人の女性議員が誕生し、2期の実績を残しました。しかし、3期目は出馬しないとのことで、婦人団体では広い範囲から3名が選ばれました。一挙に3人の候補者を立て、苦戦するのではの声もありましたが、各候補は果敢に挑みました。結果は滝澤ゆきと八田の2名が当選しました。長野市で開催された婦人参政10周年記念式に出席した八田は「婦人参政権は、大正時代からの婦人解放運動でやっと得られたもの、女の手で獲得したもので、決して与えられたものではない。婦人議員の活躍もこれからだ」と語りました。今後女性議員を増やすためには、各団体の横の連絡を密にしなければと周囲に呼びかけ、これが発端となって市内婦人団体で構成される婦人団体連絡協議会(婦団連)が昭和33年に16の団体が加入して発足しました。昭和48年、かねての念願であった『戦後の上田女性史』(小崎軍司著)を婦団連事業として発刊しました。歴史の証言ともいえる生き生きと活動した女性たちの記録は、後世への指針となる文献です。