ハリー・K・シゲタ

上田が生んだ国際商業写真家

ハリー・K・シゲタ
ハリー・K・シゲタ
(ハリー・ケー・シゲタ)
1887ー1963

 重田欣二しげたきんじ(ハリー・K・シゲタ)は、明治20年、原町に生まれました。重田は上田中学校(現上田高校)のころ、太平洋のかなたに新しい文明を追求する国・アメリカがあると聞き、渡米の決意を固め中学校を中退して海を渡りました。
 しかし、シアトルの親せきを頼るも不在で会うことができず、厳しい生活が続きました。それでも名前の欣二をハリーに変え、アメリカになじもうとしたのも、彼の決意の表れでしょう。
 渡米した翌年、ミネソタのセントポール美術学校に入り、肖像画、デザインを勉強中にスナップ写真に興味を持ち、やがて写真スタジオに勤めながらプロ写真家への道を進みました。シゲタは独自のテクニックで肖像写真を確立し、デリケートな手法を研究して写真の修整技術を完成。商業写真のジャンルを確立していきました。
 1941年に日本のハワイ奇襲によって日米が開戦し、日系人排斥運動に苦しんだものの、これまで築いた功績やアメリカへの感謝を忘れないシゲタの誠実で温かい人柄もあって特例で活動を続行。戦後はカラー写真撮影の先駆者となって後進の指導に励みました。
 1949年、アメリカ写真学会からは特別名誉会員に推挙され、同年ロンドン国際写真コンぺティションでは特賞を受けています。
 シゲタは常に革新的な構想で、新しいアイディアを試み、数多くの名作を残し、望郷の念も空しくシゲタは昭和38年、75年の生涯を閉じました。シゲタの遺物・遺作1504点は、写真家の友人たちの手を経て、故郷の上田に寄贈されました。

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