渋沢孝輔
(しぶさわ たかすけ)
1930-1998
小県郡長村横尾(現上田市真田町長)の養蚕農家の四男として生まれました。昭和18年に上田中学校(現上田高等学校)に入学しました。卒業後、昭和23年に東京外事専門学校(現東京外国語大学)フランス語科に入学します。昭和28年卒業後、東京大学大学院(人文科学研究科仏文専攻)に入学し、昭和31年に修了します。大学院での修士論文の主題となった「アンチュール・ランボー」を中心とする研究者として、長い間大学でフランス文学を講じられました。
その後、明治大学の教授となり、ランボーやボードレールなどフランス詩を研究する一方、自らたくさんの詩を発表していきます。同人誌『未成年』『×××』に詩を発表し、初めて注目されます。昭和33年に詩人藤原定らの同人誌『花粉』(のち『オルフェ』に改組)に参加します。昭和55年詩集『廻廊』により第10回高見順賞を、評論集『蒲原 有明論』により、第12回亀井勝一郎賞を、平成4年には、『啼鳥四季』により第43回読売文学賞・第 42回芸術選奨文部大臣賞を受賞。平成9年『行き方知れず抄』で、現代詩のグランプリともいえる第5回萩原朔太郎賞を受賞されました。しかし、この賞の受賞者展覧会を見ることなく、常に日本の現代詩をリードしてこられた渋沢は、平成10年、下咽頭癌により67歳でこの世を去りました。
渋沢は、萩原朔太郎にも強く傾倒し、若き日の同人活動を皮切りに、17冊の詩集、数多い評論・エッセイ・翻訳など意欲的に取り組まれ、数多くの受賞歴に輝く、代表的文化者のおひとりでした。死の直前まで記していた「入院日誌」は『冬のカーニバル』に収録されています。
ご遺族のご厚志により、多くの蔵書を故郷上田市真田町に寄贈いただき、渋沢文庫として真田公民館図書室に保管されています。主に、詩集を中心とした貴重なコレクションです。