工藤善助

蚕糸業界育成に尽くした政治家

工藤善助
工藤善助
(くどう ぜんすけ)
1858-1938

 工藤は、小県郡上丸子町(現上田市)に生まれました。明治20年(1887)に下村亀三郎らと生糸共同組合依田社を創立し、小県郡依田窪地方製糸業の基礎を築きました。また、信濃蚕種業組合の創立とともに、副組合長となり、明治33年(1900)長野県蚕種同業組合連合会の議長、明治36年(1903)には同会会長となるなど、蚕種業界の発展に尽くしました。
 一方、政治面では、明治24年(1891)から二期小県郡会議に当選したのを手始めに、明治30年(1897)から長野県会議員を二期務め、二期目には県会議長となりました。さらに明治37年(1904)には衆議院議員となり、大正9年(1920)まで務めました。
 その後は政界を退き、依田社社長、依田銀行頭取、帝国蚕糸㈱、信濃絹糸紡績㈱、信濃電気㈱、上田蚕種㈱、丸子鉄道㈱などの重役を務めました。このほかの蚕糸業界の公職としては長野県生糸同業組合連合会長、蚕糸業組合中央会議員、大日本蚕糸評議員などを歴任しました。
 大正8年(1919)アメリカ合衆国のワシントンで開催された国際労働会議に、資本家代表顧問として出席しました。また、大正11年(1922)・大正12年(1923)には、欧米蚕糸業視察団長となるなど、内外にわたり活躍しました。

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