上田情報蔵

上田再発見
●江戸後期の用水路(弘化年間)


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Middle (768 x 512)

弘化4年(1847)の善光寺地震は、上田の町にも被害を及ぼし、井戸水が止まったことが今も伝えられ、絵図も残っている。当時上田藩では、急遽新しい堰を掘り、神川から取り入れた水を生活用水として城下町へ引き込んだ。その一つの「常田堰」は常田村を経て横町へ流入し、そこで4つに分かれたが、常田町(現在の本町)と海野町裏間の約76m(42間)の水路跡は今も残っている。この水路は横町と常田町(本町)の境で、武家屋敷と町屋の境でもあった。水路は石積みで縁取られ、幅・深さとも各60cmで、一部分80cmから1mの箇所もあり、露出された約5mを、柳屋駐車場の一角に見ることができる。  (撮影日:平成05年12月)

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