上田情報蔵

櫓門工事
●上田城跡本丸東虎口櫓門復元工事 105 着工前


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 3 松平氏在城時代               
 宝永3年(1706)、但馬国出石へ移封となった仙石氏と交代で松平忠周が上田藩主となった。この松平氏は三河以来の徳川氏の一族で、藤井松平氏と呼ばれている。
 藤井松平氏の祖、松平信一は姉川合戦に家康の名代として徳川軍を率いて奮戦し、その武勲により織田信長より着用していた小文地桐紋付韋胴服(市立博物館蔵・重要文化財)を拝領した。以後、藤井松平氏はこの胴服に用いられていた五三の桐紋を家紋とした。
 松平氏の在城期間は明治維新までの7代160年余に及び、上田城と城下町の形はこの時代に整備されたものが現代に受け継がれている。上田城については、千曲川の大洪水により崩壊の危機に瀕した尼ヶ淵を石垣により大改修したほか、石垣、建物の修理がたびたび行われた。
 松平氏は譜代大名として、幕府の要職をたびたび勤めたが、特に8代忠優は幕末の動乱期に老中となり、井伊直弼らとともに多難な国政に当たった傑物として知られている。内政面では、経済の発達や産業の振興にともない、上田独自の文化が育まれ、幾多の人材が輩出したが、宝暦騒動に代表される一揆も多発した時代であった。