上田情報蔵
櫓門工事
●上田城跡本丸東虎口櫓門復元工事 106 着工前
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4 明治維新後−1
明治4年(1871)の廃藩置県に伴い、上田城は国(兵部省)に接収され、明治7年に民間に払い下げられることとなった。その後明治10年頃にかけて次第に取り壊され、現在の西櫓1棟を除いたすべての建造物と石垣の大部分は解体され、桑畑などにされていった。
明治12年、城の面影が失われゆくのを惜しんだ旧松平家家臣や住民有志の間から松平神社創建の動きがあり、その趣旨に賛同した常磐城村(現上田市)在住の丸山平八郎は所有していた本丸下段の地を松平神社に寄付し、松平氏の祖霊を祀った松平神社が本丸跡に創建された。丸山氏は後に本丸上段と堀の一部も神社付属の遊園地用地などとして寄付し、唯一残された隅櫓についても旧藩主松平忠礼に献納している。これにより上田城跡の中核部分は市街化などの破壊から免れ、現代に遺されることになった。なお、松平神社は第二次大戦後、真田氏、仙石氏の歴代藩主等を合祀して真田神社と改称している。