上田情報蔵

櫓門工事
●上田城跡本丸東虎口櫓門復元工事 107 着工前


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 4 明治維新後−2
 また、二の丸跡は刑務所や伝染病院、桑畑などとして利用されたが、大正時代に公園化の要望が高まり、土地の公有地化、刑務所等の移転、運動、遊戯施設等の建設が行われ、昭和初期に上田城阯公園として市民に開放され、昭和9年12月28日には本丸、二の丸の大部分が国の史跡に指定された。
 昭和16年(1941)に市内で遊廓として使われていたかつての隅櫓2棟が東京の料亭に転売され、これを知った市民の間から2櫓を買戻し、城跡へ移築復元しようという保存運動が起こった。当時の市長浅井敬吾を会長として上田城阯保存会が結成され、市民の寄付により2櫓は買戻された。移築復元工事は、太平洋戦争さなかの昭和18年より始められ、戦局悪化による中断をはさんで戦後の昭和24年に現在の南櫓、北櫓として完成をみた。この2櫓と寛永期より現存した西櫓は、昭和34年(1959)に長野県宝に指定され、昭和42年と昭和56年から同61年の2回にわたって保存修理工事が行われ、かつての姿を蘇らせた。