上田情報蔵
上田ところどころ
●丸堀町の巻
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上田城の本丸と二の丸の堀は今も残っていますが、三の丸大手の堀は市街地の中に姿を消してしまいました。
現在の上田商工会議所のあたりを南北に貫いていた、長さ約220メートルの水堀が三の丸大手の堀で、真田氏の時代に造られました。
この堀の水は、原町の西側から七軒町の南側を通り、丸堀町で円形をなして作事場(現清明小学校)の北側へと流れていました。
このように丸堀という町名は、三の丸大手の堀の水が、ゆるいカーブを描いて流れている場所に因むと言われております。
この町は、上田城の三の丸の中にあり、中級武士の屋敷が並ぶ侍町でした。
また、町の中央には、上田藩の政務を司る会所がありました。この会所は後に常田町に移転し、その跡地は徒士と足軽の住居に変わり、幕末のころには徒士三人、足軽三人が住んでいました。
会所と並んで、上田藩が時刻を伝えた時鐘櫓がありました。場所は丸堀の通りに、七軒町通りが突き当るあたりです。
時鐘櫓は明治期に今の上田商工会議所の場所へ移され、昭和九年に上田城跡公園入口に移転、同四十八年には平和の鐘と名づけられ現在に至っております。
(撮影日:平成05年04月22日)
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