上田情報蔵

上田ところどころ
●鈴子の巻


*** Download (JPEG file) ***

Small (192 x 128)
Middle (768 x 512)

 今から三百六十八年前の寛永二年、西松本村から分かれて鈴子村が成立したと伝えられています。塩田平を流れる尾根川中流域に位置する集落で、江戸時代の中頃は家数約六十、人口はおよそ二百五十人でした。
 鈴子は古くから交通の要所で砂原峠を越える鎌倉道と諏訪道、二ッ木峠越えの海野道、そして別所道などがこの地区で交差しています。したがって人や荷物の往来が賑やかで、昔からいろいろな店が沿道にあったとのことです。ところが、鈴子には山野が無いので江戸時代の農民は二十キロ余も離れた武石山まで薪を採りに行ったそうです。
 元禄二年(一六八九)、上田藩は塩田の農業用溜池の調査を実施しましたが、それによりますと池の数は全体で七十一と記されております。塩田平が上田藩の穀倉地帯であったことがこの池の多さでもよく分かりますが、鈴子の来光寺池もその溜池の一つです。
             (撮影日:平成05年10月13日)

*** Download (JPEG file) ***

Small (192 x 128)
Middle (768 x 512)

*** Download (JPEG file) ***

Small (192 x 128)
Middle (768 x 512)

*** Download (JPEG file) ***

Small (192 x 128)
Middle (768 x 512)