上田情報蔵

上田再発見
●月窓寺界わい(押出川沿い)


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月窓寺は、真田氏が城下町を作るときに建てられたそうで、横町から鍛冶町にかけての通りにある寺(日輪寺、宗吽寺、願行寺、本陽寺)の中では最も古いといわれています。最初、諏訪部の坂下にあったものを今の場所に移したという話を聞いたことがあります。わたしの小さいころは、月窓寺の横を流れる押出川を境に、今の市街地側が上田町、材木町側は常田村の地籍で、辺り一面田んぼでした。この押出川は、父が若いころはとてもきれいな川だったそうです。この川に沿った小道は、月窓寺へ通じる裏道として多くの人が利用した道です。道のところどころに歴史的に見ても古い道祖神が置かれています。また、約百三十年ぐらい前の地図には、この近辺に「柳橋広場」という広場が出ており、旅芸人や相撲などが行われ、とてもにぎわったということです。
 月窓寺の境内には、幕末に活躍した赤松小三郎遺髪の墓や、紅地蔵(通称赤地蔵)と呼ばれるお地蔵様があり、信仰深い人たちの手でいつも線香が絶えません。
お話(田口 六郎さん材木町)
(撮影日:平成04年06月17日)

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月窓寺(鍛冶町)
染物屋、古美術商の多い静かな通りの中ほどにある。いつも線香の絶えない赤地蔵の堂の前を通って墓地がある。赤松小三郎(洋式兵学の先駆者、勝海舟に師示)、大阪で戦死した幸村の遺品がある。
(撮影日:昭和60年03月)

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月窓寺は真田昌幸が城下町を作るときに建てられ、境内に紅地蔵(通称:赤地蔵)と呼ばれるお地蔵様があり、信仰深い人達の手でいつも線香が絶えない。

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