上田情報蔵

上田ところどころ
●下房山の巻


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江戸時代、原町のはずれで北国街道は西へ、上州街道は東へとわかれていました。「中央三丁目」の信号のある所がその分岐点です。
したがって、下房山は上田から上州街道を行くときの最初の村で、原町につづく家並には桶屋、紺屋、綿打などいろいろな職人がおり活気にあふれておりました。
下房山から矢出沢川をわたる新小路が開通したのは、今から160年ほど前の天保年間だったようです。
昭和初期に、新小路は花房町という名に変わり、矢出沢川にかかる橋も仲花房橋となって現在に至っております。橋から眺める矢出沢川のほとりの風景は、昔の面影をとどめております。
浄楽寺は延宝5年(1677)、更科郡塩崎の角間村から下房山に移され、はじめは康楽寺(塩崎)の掛所であったと伝えられています。掛所は僧侶が錫杖を掛けて滞留する所です。
(撮影日:平成07年11月20日)

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