上田情報蔵
上田再発見
●国分寺道
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笹井方面から国分寺へ通じる道として、いつのころからあったのかわかりませんが、かなり昔からあったと思われます。今では、地元の人もあまり利用しないほどの狭い道(三尺道路)で、岩門の集落内では岩門神社、中世の出城であった岩門城跡、そして活文禅師が寺子屋を開いたという大日堂跡を通り、久保林へと抜けます。
そうですね、自動車が普及するまでは(昭和30年代)、地区の人たちもけっこう通りましたよ。ことに、八日堂縁日のときは、かなりの往来があり、冬空のもと、だるまを買い求めて歩く人の姿が絶えませんでした。
このあたりは、「本城」という地籍で、上田城より古いとされる岩門城の土塁が一部残っています。また、佐久間象山が蒼久保の竜洞院から通いながら学んだ大日堂は、地区の公会堂として利用されています。
お話 宮島和雄さん
(撮影日:平成03年04月09日)
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