上田情報蔵
上田ところどころ
●大久保の巻
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東太郎山麓南斜面の台地の集落で、大きな窪地(谷)を有することが地名の由来と考えられています。
江戸時代、大久保村には上田藩の材木や薪などを切り出す御林がありました。
この林は松の木が主だったようですが村には上田藩のための竹薮も一畝ほどありました。竹は建築資材用と思いますがタケノコも大切な産物だったのではないでしょうか。
昭和2年(1927)、洋画家で農民美術の指導者・倉田白羊が大久保にアトリエを建て移住しました。
白羊は大久保を愛し、大作「たき火」など村を描いた作品を多く残していますが、詩人佐藤春夫の薦めで出版した随筆集『雑草園』でも、「……わかし湯ながらのん気で商売べたな湯宿もある。荘厳な切り立った崖があり(中略)くっきりと蚕室の白壁が光り……」などと、大久保の様子を書いています。
昭和5年3月には、白羊の尽力により大久保公会堂でホームスパン(毛織物)の講習会が開かれました。その後、神科ホームスパン組合が設立され、緬羊を飼育して原料自給を始めるなど、関係者の努力が実り服地やネクタイが製作されるようになりました。
(撮影日:平成05年02月18日)
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