上田情報蔵

上田ところどころ
●浦野の巻


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 今から400年ほど前、上田から松本への保福寺道が整備され山麓にあった浦野、入馬越、中馬越の集落がその沿道に移されました。
 移住した三つの集落は馬越村と名付けられ保福寺道の宿場となりましたが、宿場は浦野宿と呼ばれました。村名が宿場の名にならなかった珍しい例だと思います。
     かの子ろと 寝ずやなりなむ はだ薄 宇良野の山に 月片寄るも 
 この万葉歌碑が昭和51年、浦野に建立されたのは「宇良野」が浦野の地であるという有力な説によるものでした。さて、保福寺道は松本街道、浦野道とも言いますが、松本方面では江戸道、江戸街道などと呼び、早朝に松本を立った参勤交代の行列が浦野宿で宿泊する習わしになっていたそうです。江戸時代のこの街道は多くの旅人でにぎわいましたが、米、酒、薪、たばこ、絹、塩、瀬戸物、魚などの諸物資も数多く運ばれ、浦野は明治の初年ごろまで栄えました。
 今もその面影をとどめる家並が残り、本町に祭られていた立派な市神(現在は出浦の国道143号線沿いに遷宮)も、商業と旅客で繁栄した浦野を偲ばせてくれます。
    (撮影日:平成03年07月07日)