上田情報蔵
上田ところどころ
●鷹匠町の巻
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鷹匠はもともと江戸幕府の職名で、将軍の鷹を訓養し鷹狩に従事する役でした。江戸時代は盛んに鷹狩が行われましたが、多くの藩も鷹を訓養する鷹匠(鷹師)と、その部下の餌差を抱えていました。餌差は鷹の餌となる小鳥をモチ竿で捕らえる人のことです。
鷹匠町の名はその鷹匠が住んでいたことに由来しますが、元禄14年(1701)には町名を一時常盤町に変更しました。この町名変更は、五代将軍綱吉が発布した「生類憐みの令」によるものと考えてよいでしょう。
ところが、町名変更から十五年後の享保元年に第八代将軍となった吉宗は鷹狩を好みましたので、再び鷹狩が行われるようになり常盤町は再び鷹匠町に戻りました。
江戸時代、鷹匠町の南側は千曲川を見下ろす断崖になっていましたが、幕末に上田藩が鉄砲訓練をした矢場は鷹匠町の西南、断崖から千曲川を望むあたりにありました。
(撮影日:平成05年01月)