上田情報蔵

上田ところどころ
●鎌原の巻


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天正十一年(一五八三)ごろ、上田城が完成しますと、城下囲の村として、太郎山麓の人びとが今の鎌原に移住させられました。
幕末のころ、村を通る北国街道から南側の大鎌原に通行する所に鎌原口と呼ぶ木戸があり、下級武士や足軽の長屋がありました。
ガンの研究で有名な山極勝三郎博士(旧姓山本)は、その長屋で文政三年(一八六三)に生まれました。父は上田藩の下級武士で、貧しい暮らしの家庭でしたが、勝三郎は東京大学医学部を卒業、大正四年に世界で初めて人工ガンの造成に成功したのでした。
博士は千曲川にちなむ曲川という号で俳句にも親しみ、「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」という句は、東京大学病理学教室の壁に掲げられています。
明治三十五年、鎌原の手塚半右衛門は自宅を開放して、女子技芸専修学舎(後に上田女子技芸学校)を設立しました。裁縫、家事などを教える私立の学校でしたが、修身、衛生などの教育も行い女子の教養を高めました。
(撮影日:平成03年10月)

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