塩田平の文化と歴史

●解説 生島足島神社 武田信玄願文(県宝)


 天文10年(1541)ごろから、信州攻略を開始した甲斐の武田氏は、同22年(1553)、塩田城を滅して、ほぼ信州全体を手中におさめた。
 残るは、上杉謙信の勢力下にあった北信濃である。何時かこの謙信と雌雄を決せねばならぬと覚悟していた武田信玄は、まず、東信濃の名社生島足島神社(当時は諏訪大明神といわれていた)に、願文を献げ、今後の戦について深く祈願するところがあった。
 これがその願文で、おわりに永禄2年(1559)と記され、信玄自筆のものといわれている。横31センチメートル、縦16センチメートルの”鳥の子紙”に記されているのは、およそ次のようなことである。
 「謹んで、下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は、越後の軍勢(謙信をさす)が攻めてくるので、戦うがよいかどうかト(うらな)ったところ”吉”という卦が出ました。そこでこの天の教えに従って出陣いたします。何卒私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたなら、今年から10カ年間、毎年青銅貨10緡ずつお社のために上納いたします。」
 ちなみに永禄2年といえば、謙信・信玄の一騎打ちで有名な「川中島の戦」があった年から2年前にあたる。

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