塩田平の文化と歴史
●解説 蘭渓道隆と安楽寺
蘭渓道隆というお坊さんは、鎌倉五山の第一といわれた建長寺の開山(初代の住職)となったくらいの人だから、天下の名僧であるということはいうまでもないが、この人が、安楽寺の開山樵谷惟仙さんと、親友ともいうべき間柄であったことは、前に述べた。
この道隆さんは、中国出身の人で、惟仙さんと一所に中国各地で修業したのが縁となり、道隆さんが来朝し建長寺へ迎えられてからも、ごく親しく交際をつづけていたことが、現在残っている道隆さんの手紙などから知ることができる。
そのいくつもの手紙の中には、「前月参上のときは、たいへんご厄介になって感謝している」とか、「杏仁(あんずの種、薬用として珍重された)一斗、善光寺上品の花鉢・梨など送って下さって誠に有り難い」とか、「今年は安楽寺に赴いて夏を過ごそうと思っていたが、反対があってできなくなった。他国の人(中国出身の自分をさす)は、ただ周囲の多勢の人の意見に従うのみ。(残念であるが仕方がない)」とかいうようなことが記してある。
道隆さんは、後で、かずかずの苦しい運命を辿られることにもなるのだが、その時にも、惟仙さんとは助け合っていたらしい。次の写真は、その道隆さんが惟仙さんに宛てた手紙の一つで、早く建長寺へ来て「首座」(座禅修業の首位の僧)の役をつとめてほしいとたのんだもの。これをみると二人の間は、ときには疎隔されたこともあるようだ。
近頃、安楽寺所蔵となった貴重な書簡である。写真は健長寺。
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