上田情報蔵

上田ところどころ
●諏訪形の巻


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諏訪形は諏訪之県の意味ではないかと考えられています。県は大化改新(645年)以前の地方行政区画で、県主が支配した政治的、経済的、軍事的に重要な地域と見てよいでしょう。つまり、諏訪氏直属の県の所在地があったので諏訪之県と呼ばれたのでしょう。
今から二百九十年ほど前の江戸中期、諏訪形村には馬が五十一頭いました。
これらの馬は、大名が北国街道を通行する際、上田宿の原町や海野町の問屋(宿場の事務を行う所)から要請があり次第荷物運搬などに使われました。
諏訪形が現代の作家や文化人に知られるようになったのは、昭和21年に里見じゅんが発表した『姥捨』という小説からと言ってよいでしょう。
戦時中、彼は愛妾を諏訪形の「赤い屋根の家」に疎開させますが、『姥捨』はその時の心境や諏訪形の様子などを書いた作品です。
また昭和56年にはその当時の往復書簡集『月明の径』(里見じゅん著)が出版されましたが、終戦前後の諏訪形の生活などが記されており興味深いものがあります。
(撮影日:平成04年08月18日)

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