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■上田・小県地方に最初に人が住みついたのは、今からおよそ2万年ぐらい前といわれています。これらの人々の生活したあとは、和田峠周辺や菅平高原などの標高1000mをかぞえる高い場所に発見されていますが、この時代を旧石器(きゅうせっき)時代とよんでいます。
■約1万年ぐらい前から縄文(じょうもん)時代になりますが、この時代には土器が発明され、これによって食物の煮たきができるようになりました。また、いろいろな信仰に関係する資料もみられ、人々の生活は一段と豊かになったと考えられます。
■次の弥生(やよい)時代になると、米づくりが行われるようになり、人々は大きな川の近くの平野に住居を営むようになりました。
■各地に大きな墓としての古墳(こふん)が造られるようになった古墳時代には、すでに各地の豪族が大きな勢力をもってきます。
■古代の科野国(しなののくに)と呼ばれた地域は、千曲川の肥沃な沖積地(ちゅうせきち)を中心に拡大していったと考えられますが、この時代には東山道が開通し、大和(やまと)朝廷の勢力が科野(信濃)にも入ってきました。
■大和朝廷の任命した、科野国造(しなののくにのみやつこ)もこの上田地方を根拠地としていたことが知られていますし、国司(こくし)のいた最初の信濃国府(こくふ)もこの地にあったといわれており、当時の信濃の政治と文化の中心であったといえます。
■信濃へ入った仏教は、はじめ各地の豪族の間で信仰されており、長野市の善光寺はそのもっとも大きなものといわれています。ところが、今からおよそ1200年前の奈良時代に、聖武天皇の詔(みことのり)によって国ごとに国分寺が建てられるようになりました。これは仏教を国の宗教とし、国の繁栄と国民の幸福を祈ることを目的としたものでした。
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