信濃の歩み |
石器を道具とした
生活が始まる |
男女倉遺跡
(小県郡和田村) |
土器を用いた生活が始まる |
向組A遺跡
(小県郡真田町) |
大規模な竪穴の住居
の集落がつくられる |
検田見遺跡
(上田市) |
天竜川や千曲川流域で
水稲農耕が行われるようになる |
栗林遺跡
(中野市) |
水稲農耕が発達し、
「くに」の原形ができる |
枠木遺跡
(上田市) |
古墳が作られ始める |
弘法山古墳
(松本市) |
須恵器が普及し
交通が発達する |
二子塚古墳
(上田市) |
このころ古代東山道が
ひらかれる |
大門峠
(小県郡長門町) |
屯倉が各地におかれる |
小県郡海野郷三分
(東御市) |
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各地の豪族が
「くに」を支配する |
小古墳が多く
作られるようになる |
東山古墳群
(上田市) |
このころ、信濃国に
国府がおかれる |
国府推定地
(上田市) |
新東山道が
ひらかれる |
このころ、善光寺が
創建されたと伝えられる |
「科野国」を「信濃国」と
字を改める |
信濃国府から
調布を収める |
正倉院宝物 |
このころ、信濃国分
僧寺・尼寺の建立始まる |
信濃国分寺跡
(上田市) |
正税四万束を特に
信濃国分寺造用にあてる |
信濃の防人らの
歌ができる |
小県郡跡目里の他田舎人
●●の仏教説話(日本霊異記) |
小県郡嬢里の大伴●忍勝の
仏教説話(日本霊異記) |
このころ、信濃国府が
今の上田から松本に移る |
●●、神坂峠に宿院を設け
旅人の難を救う |
信濃国から貢馬を納めた
初の記録がみえる |
諏訪上社・下社に
位が授けられる |
小県郡生島神・足島神に
位が授けられる |
信濃の五寺を
定額寺と定める |
平将門が平貞盛を信濃国分寺
付近で追い打つ(将門記) |
源義仲・平家追討の旗を
小県郡依田城にあげる |
善光寺再建される |
北条氏小県郡
塩田地方に入る |
信濃の武士、
南朝に分かれて戦う |
国分寺
牛頭天王祭文できる |
信濃国分寺三重の塔
(上田市) |
上杉謙信・武田信玄
川中島で戦う |
真田氏、上田城を築く |
信濃国は
小藩分立の状態 |
信濃国分寺薬師堂
(上田市) |
長野県と筑摩県が合併し、
信濃国一円が長野県になる |
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信濃国分寺跡が史跡に指定され、
発掘調査が行われる |