●監修・脚本原案……深町修司
1929年長野県生まれ。信州大学上田繊維専門学校(現繊維学部)卒後、県内の小学校に39年間勤務。特に美術教育に専念。1960年代初めに中塩田小学校に在職、民話や歴史物語を教材とした美術表現指導を実践。その後菅平にて記録映画『くらしを描く』(1968年芸術祭大賞受賞)に子どもらとともに出演。絵の指導と評価(日本教文)、美術の授業(百合出版)、美術教育大系(学芸書林)、新美術の授業(駒草出版)、小学校の美術(有斐閣)、信州子どもの100年(信濃毎日新聞社)などに執筆。集大成として『子どもの美術と歩む』(1999年出版。)芸術教育の会副会長。芸術教育研究所客員研究員。アトリエ童心主宰。
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●絵……白井信吾
1940年生 長野県小県郡丸子町 1964年 信州大学教育学部卒業、長野県内の小中学校で36年間教職生活 1972年 長野県勤労者美術展知事賞 1975年 上小美術展上小美術会賞 1987年 同 小林三郎賞 1988年 同 教育委員会賞 1989年 第一美術展奨励賞 1990年 同 奨励賞 2000年 退職 2000年 上小美術展上小美術会賞 2001年 大阪茶屋町画廊にて個展
グループ展(洋画五人展)6回 個展6回 現在 上小美術会副会長
アトリエ 小県郡丸子町長瀬2692 TEL(FAX) 0268-42-6736
▼メッセージ
教育実践家である深町修司氏には大学在学中よりお世話になっています。氏の深い実践力にひかれて多くの同輩や後輩が「子どもの絵を見る会」等で学び長野県の美術教育を高めてきました。
氏の民話を題材にした子どもの絵や影絵に私も共感し小中学校で実践を続け指導を受けてきました。
私が退職した年の四月には、はやばやと小泉小太郎の紙芝居化の話題が深町氏から提供され制作をうながされましたが油彩や水彩はともかく紙芝居ははじめてです。
しかし躊躇の余裕を与えてくれず即計画実行の段になっていきました。小泉小太郎の実践の深さにはかねがね敬意を表していましたから多少無理をしてでもやる価値はあると考え微力ながら協力させていただくことになりました。
ところで私が小泉小太郎の紙芝居を切り絵で表現することが最も適切であると考えたのは、次の理由によるものです。
まず、この民話のもつ素朴さは単純なモノトーンにすることがよいこと。第二は、小さな紙芝居の画面
が大勢の見る側にはっきりと伝えるには、水彩のもつ情緒的な表現の仕方より、メリハリのきく鋭い刀の力を借りることがよいと考えたことです。
そして最も大きな理由は、写実的な描写では表すことのできない民話の独特な豊かなイメージの世界が切り絵にある、ということです。
退職した現在、子どもの美術表現活動を現役の皆さんと育てる仕事を進めると同時に、自分の表現も追求していきたいと考えています。
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●音楽……深町浩司
▼メッセージ
「小泉小太郎物語」これは、私が物心ついたときから既に親しんでいた民話であります。今から40年程前、父は当時教鞭を執っていた小学校でこの小泉小太郎物語の影絵劇を制作し、その時の語りと音楽の録音テープを、後になって幼い姉と私に幾度となく聞かせてくれるようになりました。最初はただ単に私たちを夜寝かせるための、お話程度に聞かせるつもりで父は考えていたのでしょうが、私は、テープから流れてくる小学生達の迫真の語り口と、ドップラーのフルート曲の美しい調べに虜になってしまい、何度もテープを聞き返し、そのうちに話の筋をすっかり覚えてしまいました。しかし、結局私は一度も影絵劇を見ることはありませんでした。音だけを頼りに、自分の中で話の展開を描き想像し続けていただけでしたが、とても強烈な印象が残り続けました。
音楽を生業とするようになった現在の私が今回「小泉小太郎」の音楽制作のお話を頂いたとき、30年前に聞いていた「音」がにわかによみがえって来ました。私が幼い頃感じた事を今の言葉で言えば、この物語は決してハッピーエンドではなく、人々にある種の教訓をもたらす、非常に緻密に作られた民話である、と言うことです。
自然の脅威に対して人間は為すすべは無い、しかし、空想の生き物である竜が立ち上がり自己犠牲を払い、その命と引き替えにしてでも自然を制しようと戦う・・・物語が終わったとき、何か心にずしんと跡を残すような、人間の無力さを痛感させられる内容だと私は思います。こんな想いから、今回の音楽のベースが出来上がっています。
今回制作された紙芝居を子供達が体験して、心に残るものは様々だと思います。それが画像であれ、音であれ、何か一つの断片だけでも良いのです。心に残る印象があれば、この物語は次の時代にも必ず語り継がれていくことでしょう。
▼プロフィール
1965年長野県生れ。武蔵野音楽大学器楽学科にて打楽器を専攻し卒業。在学中より東京吹奏楽団メンバーとなる。その後フリーの打楽器奏者としてこれまでにN響、読響、都響を始め全国各地の楽団の公演に参加している。また、東京交響楽団世界一周公演、欧州公演、東フィル欧州公演、オーケストラアンサンブル金沢豪州公演、東南アジア公演、中国公演、水戸室内管弦楽団欧州公演など多数の海外ツアーに参加。日本の楽団以外にもワレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団の日本公演に参加するなど、オーケストラ奏者としての活動は多岐に渡る。またサイトウ・キネンオーケストラのメンバーとして、松本でのフェスティバル、レコーディング、海外公演等に参加している。打楽器全般を塚田靖氏に、ティンパニーを宮崎泰二郎、ライナー・ゼーガースの各氏に師事。
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●企画・脚色・語り……小林寛恵
▼ごあいさつ
この数年、紙芝居の良さが見直されています。それは演じ手と観客が近い距離で共に楽しみながら上演する「共感する心」が必要とされてきたからではないでしょうか。
“シアターらったった”は上田市野倉の木のおもちゃ銀河工房に併設する手作りの野外シアターです。私達夫婦と友人達の協力によって、紙芝居などの上演の為に作られました。ここでは「アートする楽しみ」を分かち合おうと、ワークショップを取り入れた活動を行っています。絵や音楽・ダンス・芝居‥‥それらのアートする楽しみは誰もが持っている創造する力を刺激して、生きる元気、活力を掘り起こしてくれると考えています。
シアターでは、これまで自作・他作の作品の上演をしてきましたが、当初からこの地(塩田平〜沢山湖)に伝わる龍にまつわる有名な民話を紙芝居として上演することが夢でした。2000年、恩師
深町修司先生と再会し、先生のお力をお借りして『小泉小太郎物語』の上演が実現しました。この場をお借りしまして深町先生、白井先生、深町浩司氏に感謝申し上げます。
この度は、マルチメディア情報センターの皆様のご理解ご協力により、紙芝居がデジタル化され、より多くの方々に見て頂けるようになりましたこと心より御礼申し上げます。
又、この紙芝居を通して、古くて新しい紙芝居の良さが再認識され、家庭や地域の中で、肉声による小さな上演会が増えてくれることを願います。(2001年6月10日)
▼プロフィール
長野県立上田高校を経て日本大学法学部卒業。学生時代をとうして演劇活動をつづける。
卒業後、都内の小劇団の活動の傍ら「ゼン=ヒラノ アクティング ゼミ」などで演技をまなぶ。
障害を持つ人とともに表現活動をするコミュニティーアートのワークショップリーダーの資格を取得
上田市野倉の銀河工房に夫とともに紙芝居シアター“らったった”をひらく。
紙芝居を主体とした公演、ワークショップを小学校、保育園、デイサービスセンターなどでおこなう。
一児の母。
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●演出・プロデュース……小林茂
▼演劇としての紙芝居‥‥
紙芝居と聞くと、誰もが“絵とお話し”の懐かしいスタイルの紙芝居を思い浮かべると思います。初めてこの紙芝居をライブでご覧になる方は、静かで力の籠ったパフォーマンスに最初は少し戸惑うかも知れません。
この紙芝居を構成する要素である、原作・脚色・絵・音楽・語りを、それぞれの魅力を引き立たせながら、娯楽性のある作品に仕上げるのはとても楽しい作業でした。それぞれの素材をどう組み合わせて、どのようなタイミングで演技を繋いでいったら面白くなるか、またどうやって観客の想像力を刺激していくのかが演出の醍醐味です。これまでは、生楽器を使ってダンスやパフォーマーの動きに合わせてリアルタイムに曲を作る方法をとっていましたが、この小太郎の紙芝居は、音楽が1番先にCDとなって完成されたために、音の流れを軸とし、曲に語りがのるように全体を構成することになりました。言葉と音の掛け合いによって物語が自然に流れるように、どの音をどのように切り取り、話しのどの部分にどんな音量で組み込むかにウェイトが置かれました。ほんのわずか音と語りがずれるだけで全体の印象が変ってしまいます。そして絵にあわせて語り口をいろいろテストしながら、最もよい“間”を探りました。
観客の集中力を途絶えさせないように、その場その場での語り手の閃きと気使いがライブの楽しさを盛り上げてくれます。生の舞台ではパフォーマ−によるエネルギー放出(演じ手が観客を前にしてその魂の力を全開にすること)がエンタ−ティメントとして大事な要素であるため、語り手自身の心の底からこみあげる言葉で物語が綴られました。言葉の持つ力をストレ−トに感じるのはそのためです。
紙芝居の新しい可能性を開くための試行錯誤や自由な脚色を、大きな心で見守って下さった深町先生、快く何度も絵を描きかえて下さった白井先生、そして素晴らしい作曲をして下さった深町浩司氏に心より感謝致します。この物語を次の世代の語り部にバトンタッチするまで大切に育て、機会があるごとに上演していきたいと思います。(おもちゃ作家 銀河工房主宰)
▼プロフィール
こばやし しげる。
長野県生まれ。子供のころよりゲームを考えることが大好きで、学校新聞にパズルを発表。1971年 青年期グラフィックデザインを学ぶ。望月 積氏に師事。1975年 工芸デザイナーを経験、木工品の製作に関わる。1983年 おもちゃづくりに没入 銀河工房を開く。
企業の商品開発や商業印刷物への素材提供などの活動を続けながら、各地で個展を開催。1984年 雑誌《ウッディ専科》に“世界の玩具作家を訪ねて‥”と“木のおもちゃ工作教室”を連載。1996年 長野県上田市野倉にギャラリーを開く。約
800点のオリジナル玩具を展示。1997年〜2000年、日本グッド・トイ委員会より作品の認定を受ける。著書 『手作りの木のおもちゃ』(婦人生活社)
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●デジタル紙芝居制作……十勇士クラブ
▼十勇士クラブって、こんなクラブです
当クラブは、上田市マルチメディア情報センターのクラブです。情報センターの開設当初の頃からマルチメディアに興味のある人達が集まって結成されました。業種や年齢・性別などを問わず、社会人や学生などといった幅広い人たちが集まり交流、活動をおこなっています。
当クラブは、情報センターで行われるイベントやセミナーのアシスタント、クラブ独自で企画したイベントの運営など、情報センターを拠点とした地域活動に積極的に取り組んでいます。また、クラブ内でグループを結成し、クラブ内の活動だけに留まらずグループ独自の活動も盛んです。クラブの詳細やこれまでの活動内容は、十勇士クラブホームページにてご覧頂けます。会員は随時募集しております。入会希望の方は十勇士クラブ事務局(斎藤)まで御連絡ください。
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