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 大蓮院の墓
大蓮院の墓
 小松姫は、徳川家康の重臣本多忠勝の娘として生まれ、家康の養女となっ て、真田昌幸の長男信之(幸)に嫁いだ。信之夫人として迎えられた事 情について、次のような逸話が伝えられている。
 小松姫は、才色兼備をもってきこえ、家康が若い大名を列座させて婿を選 ばせたところ、家康を前にして恐れる大名が多かった中に、最も落ちついて 堂々とした動作の信之を見て、小松姫自身が心を動かされ進んで信之を選んだということである。
 真田家が乱世を生きるむずかしい時に、信之が進退を誤らないで、真田家 10万石の基をつくったのは、この夫人の内助の功によるところが大きいとい われている。
 小松姫は元和6年(1620)病気療養のため、江戸を出て草津温泉(群馬 県)へ向かう途中、2月24日鴻巣(埼玉県鴻巣市)で亡くなりました。これ を聞いた信之は「わが家の燈火が消えたり。」といって悲しんだということ である。
 遺骨は信之が菩提寺としていた「常福寺」(現芳泉寺)に葬られた。芳泉寺本堂裏の墓地に建てられているりっぱな宝篋印塔が、小松姫の墓 である。石塔の高さ3m余、塔身と下壇の石に姫の経歴が刻まれている。そ の終わりに「元和7年3月14日施主信之」と記されている。

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