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塩田城は鎌倉時代に信濃でもっともスケールの大きい城館として有名であ る。昭和42年(1967)から発掘調査がなされて、その全容があきらかに なっている。県史跡。
この城は塩田平の南方、独鈷山の支峰弘法山の北麓にあり、弘法山から流 下する神戸川および御前沢にはさまれた場所。内堀という場所から上だけで も南北700メートル、東西180メートルの広さで、600メートルにわたって20 数段の段郭が確認されている。建物跡も調査され、一例をあげれば5間(9メートル)×5間の礎石が6列29個並ぶほぼ方形の建物が推定できる。発掘 されたおもなものは土師質土器・須恵質土器・舶載磁器類・金属製品など非 常に多数にのぼる。
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なかには珍しい将棋の駒や人形など木製品もある。城跡 上部の虎の口という場所には石積みの一郭があり、井戸も発見された。虎の 口からさらに登ると平坦地に達し、そこに北条国時の墓がある(墓碑は後世 のもの)。城跡の東と西の高地にはそれぞれ砦が築かれていて、城の守りと していたことがわかる。
内堀とよばれる場所から下も整然とした段郭が認められるが、現在上町と いうあたりは上の町すなわち上の庁が変化したものと考えられ、政務の中心 地だったと推定される。その北方に続く横町の市場地籍には市神跡を残し、 さらにその北の侍屋敷地籍は中央を南北に本町・立町が通じる。それと直角 に東西に交又する小路は約60間おきに設けられ、さらに30間ごとに小割して いる姿を推考できる。侍屋敷が240間と長く、小路まで小割している例は信 州ではほかに見当たらない。立町の北に下町があるが、これはおそらく下の 庁であろうし、道城地籍はあきらかに道場であろう。
塩田城跡のほぼ中央、本町には今も「市神」が祀られており、7月の祭礼 には重要な場所となっている。
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