上田情報蔵

 解説上田城(県宝)
 上田城は真田昌幸が天正11年(1583)に築いた城で、徳川氏の治世になってからは、昌幸の長子信之が城主となった。
 元和8年(1622)真田信之は松代へ移り、代わって小諸藩主仙石忠政が移封された。忠政入封と共に城の改築を許され、銀子二百貫を与えられて大改修が行なわれた。しかし天守閣ははじめからなかったと思われる。
 寛延年間(1748〜1750)の届書には、櫓が七つと記されているが、現在は3棟で、南櫓と北櫓は廃藩当時民間へ売却されたものを、昭和19年に上田市が買戻して復元した。
 柱・梁・桁・小屋組・瓦等は古材をよく残しているので、江戸時代前期の城郭建築として価値が高い。櫓は二重二階、入母屋造、本瓦葺、桁行五間、梁間四間、妻入である。二層は一階の梁上に土台をおき、各柱間一尺縮小して、五間に四間、同形平面として屋根を置く。外部は内法以下横羽目板張り、上はぬりごめ、各階中央に窓がついている。
 宝永3年(1706)仙石氏は兵庫の出石に転封となり、出石より松平氏が入封して来て、明治の大政奉還まで164年間の上田城に在城した。しかしこの間、城の改造はほとんど行われなかった。
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