上田情報蔵

 口絵上田城跡(国指定史跡)
上田城が真田昌幸(幸村の父)によって築かれたのは、天正11年(1583)のことだから、ちょうど今年(昭和58年)で、400年目を迎えることになる。
 戦国時代の末期、小県(ちいさがた)郡一円を勢力下におさめた真田氏は、このときはじめて上田の地に城を築き、名実ともにここを、上田小県地方の政治・経済の中心地とした。
 当時、千曲川の流れの一つが、この城のすぐ下に”尼が淵”という深い淵をつくっていたので、この城は別名「尼ケ淵城」といったとも伝えられている。
 南に、千曲川のつくった高い断崖をもって自然の守りとし、東に神川(かんがわ)・蛭沢川(ひるさわがわ)、北から西に矢出沢川等の流路を利用して堀に仕立てたこの城は、見かけは小城ではあったが、天下無双の要害といわれた。
 築城後、2回にわたる徳川の大軍の攻撃にびくともせず、かえってこれを追いかえすほどであったのも、真田父子の智謀もさることながら、この城の価値を無言のうちに物語るものともいえる。
 真田氏は、ここに在城すること約40年、元和8年(1622)松代に移封した。その後、仙石氏が85年、松平氏が164年にわたって、上田藩主としてここに在城したが、その間、上田城そのものにも、幾度かの改修拡張の手が加えられた。しかし本体そのものには、大きな変更はなかった模様である。
 写真は、仙石氏時代のものといわれる南西の隅櫓。上田城には、天主閣はなく、7つの櫓があったが、これだけが残った。もっとも近ごろ移築再建されたものが、2つあるので、今は3つの櫓と、石垣と土塁と濠が、昔の上田城の面影を伝えている。(解説参照)
 
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